9月26日(月) 事務所業務開始2016年09月26日

 今日は、9時15分ころ自宅を出たのですが、雨と月曜日が重なったせいか、渋滞が遅くまで残っており、蕃山町の江田法律事務所に着いた時には10時を少し回っていました。すぐに江田剛所長弁護士とともに出て、近所近くなど数件の挨拶回りをしました。

 その後、デスクワークをし、12時過ぎに事務員とともに銀行に行って口座の整理を依頼しました。しかし、私も事務員も慣れておらず、依頼間違いがあったようです。昼食は、おなじみの番長文庫に寄りました。

 14時ころから、書籍の整理に取り掛かりました。お祝いに駆けつけてくれた皆さん、お花や祝電を下さった皆さん、本当にありがとうございました。書棚を見ると、私の方はカビの生えそうな古文書ばかりの古色蒼然図書館、剛所長の方は極彩色豊かな流行の書店の陳列棚のようでした。江田事務所スタッフらが駆けつけてくれ、妻も加わって18時にはほぼ終了。明日からは、仕事が来るのを待つだけですが、さあどうなりますか。

9月25日(日) 学区運動会、事務所開始前日、ももちゃんら2016年09月25日

 今日は、8時半から、居住している旭操学区民の大運動会に出席し、開会式の中で紹介されて長くお世話になったお礼の挨拶をしました。今年は第38回ですが、私たちが引っ越してきて35年ですから、学区創立のほぼ当初からお世話になっています。ラジオ体操を一緒にして体をほぐしました。白菊保育園の園児たちの鼓笛隊が、大変元気でした。

 それから自宅に戻り、9時半ころに出て、業務開始前日の法律事務所に行きました。私の訪中中に荷物は既に運びこんであり、それでも判例時報のバックナンバーをすべて順番に本棚に収めるのに18時前までかかりました。15時には妻の気遣いで、江田剛所長弁護士と2人の事務員とともにお茶にしました。

 日が暮れたところで切り上げ、18時半から1時間半ほど、ももちゃん、一生君とママと一緒に夕食。パパはまだお仕事でした。一生君はずいぶんものが言えるようになりました。

9月24日(土) ホテルの朝、銀泉空港へ、北京空港へ、羽田空港へ、自動化ゲート、帰岡2016年09月24日

 今日は、帰国です。8時に朝食を済ませ、荷造りをして9時過ぎにチェックアウト。悦海賓館は、巨大な本館のほかに別荘のような多くの別館があって、私のところも居室4室と大広間があって、食事はルームサービスです。緑に包まれ、朝は小鳥の鳴き声のほかは何も聞こえず、静寂そのものです。

 雲一つない青空に威容を誇る悦海賓館に別れを告げ、10時半前に銀川空港で手続きをして見送りに来てくれた寧夏自治区政府の馬力副主席らにお礼を述べて機内へ。1時間半強の順調な飛行で12時ころに北京空港に着き、空港内で昼食を掻き込みました。北京は、雲一つない空ですが、淀んでいました。大気汚染でしょうか。終始お世話をいただいた中連部の史趙倩さんにもお別れして、15時前の便で羽田空港に発ち1時間の時差で19時ころに帰着しました。

 19日に羽田空港で北京便に搭乗するところからタブレットが使用不能となり、フェイスブックも中国では活用不能で、結局本日19時過ぎに羽田空港に帰り着くまで、ネットはインタネットの活動日誌だけになりました。羽田空港では自動化ゲートの場所が、確かに掲示はしてあるのですが直ぐに目に飛び込むところになく、職員に聞いてやっと分かりました。しかし今度はパスポートを押し当てても反応がなく、尋ねようにも職員はおらず、やっと来た職員は私が慣れていないのが悪いと言いたげな対応で、器械は指紋になかなか反応せず、つい声を荒げてしまい申し訳ありませんでした。次回からはこんなことのないようにしますが、職員の皆さんも、初回の人をもっと大切にした方が、後々よりうまくいくと思います。

 その後、京浜急行で迷いながら品川に着き、最終の一本前に切符を変更して、帰岡しました。寧夏回族自治区の銀川空港を出て北京経由で羽田に着き、京急で品川へ、そして新幹線で岡山へ、かなりの長距離旅行で、北京・羽田は往復ともエコノミー、最後の新幹線での夕食は牛タン弁当でした。23時半過ぎに岡山駅に着き、妻が迎えに来てくれて、自宅に着いたのは24時ちょうどでした。

9月23日(金) 貧困脱出、特産館、醸造所2016年09月23日

 今日は、周辺地域開発の見学でした。朝食後、8時半前に私の車を先頭にして車列で移動し、閩寧鎮を見学しました。福建省の資金と技術の力と寧夏回族自治区の行政力で、不毛の地に計画を作って区内の最貧地域の皆さんを移住させ、一家に牛4頭、ブドウ1面積と太陽光発電一家分を与え、一年頑張れば報奨金を出す措置を始めました。10数年後の今では、誰も脱落することなく、貧困から脱出しているそうです。巨大なグリーンハウスと太陽光発電施設、ラズベリーの畑と生産物などを見て歩きました。

 ホテルに戻って昼食と暫時休憩の後、14時に出て、寧夏特産館を見学しました。品質の良い枸杞が著名で、加工品もたくさんありました。ワインも有名です。

 次にワインの醸造所を見学しました。1892年に華僑として働いて得た資金で張弼氏が山東省に醸造所を作り、成功して大きくなりました。そこで2012年にドイツのモーゼルワインの15代経営者と協力し、銀川に張裕・第15代モーゼルワイン醸造所を作り、発展しています。この地域は地中海気候と条件が似ており、ワイン用の葡萄の生育に適しているそうです。高総経理に細かく案内していただき、本格的な試飲の仕方も体験させていただきました。18時半前にホテルに戻り、すぐに夕食となりました。明日は、帰国の旅です。

9月22日(木) 閉幕式、挨拶、記念植樹、昼食会、砂湖湿地保護区、記念公演2016年09月22日

 今日は、寧夏回族自治区銀川で行われた国際平和デー記念活動の2日目で、午前中に閉幕式が行われました。朝食後、8時40分にホテルを出て会場に向かい、特別の儀式はなく、9時からか開会となり、昨日の開幕式に続いて行われた第1ないし第3分科会の議論をまとめた発表がそれぞれありました。その後、私が指名されて英語で数分の挨拶を行いました。今朝もチェックしたのですが漏れがあり、演壇上で気が付いて即席で訂正したりしましたが、無事に終わってホッとしました。その後、中国側の主催者2名から閉幕の挨拶があり、10時過ぎに無事に閉幕式も閉会となりました。

 一度ホテルに戻って着替え、10時40分に出て森淼生態公園に向けて車列で出発しました。広大な自然公園に国際平和林の区画を設けて記念植樹をするという趣向で、開会式に続いて「国際和平林」という石柱の除幕式があり、私も参加しました。次いで各国からの代表団の植樹があり、私には松が用意されていて、寧夏自治区政府の王副主席と一緒に土を掛けました。その後、全体を見て回りました。

 12時から同公園内の洒落たログハウスで同じ自治区政府の馬力副主席主催の昼食会があり、この地域の産物を腹いっぱいご馳走になりました。13時半に終わって砂湖湿地保護区に向かい、1時間強のドライブで現地について案内していただきました。この地方は乾燥していて砂漠が広がっていますが、水深の浅い湖も併存していて、この調和に注意を払っています。まず湖を見て、「鳥の島」という鳥類の保護施設を見、さらにらくだに乗って砂漠を歩きました。両足とも曲げて座り込んだらくだに跨るのですが、立ち上がる時が大変で、後ろ足が立ち上がった時は前のめりになり転がり落ちそうになりました。

 16時に現地を離れて17時にホテルに着き、18時過ぎから夕食を食べて、20時から1時間半、寧夏大劇院での国際平和デーを記念するパフォーマンスを見ました。急ごしらえだったと思いますが、歌に踊り、二胡に太鼓、雑技に子どもたちの出演と、多彩な出し物が続き、満足し感動しました。

9月21日(水) 李副主席、記念写真、国際平和デー開幕式、寧夏博物館、馬副主席会見、西夏王陵、記者会見、晩餐会2016年09月21日

 今日は、大忙しでした。朝食後、8時20分にホテルを出て、8時半過ぎから李源潮国家副主席との会見に向かいました。と言っても私たちも立ち話のみで、9時前から国際平和デー行事の参加者全員で李副主席と一緒に記念写真を撮りました。次いでそれぞれ所定の席に座り、9時から10時半前まで、各国の参加者らの基調演説がありました。馬全国政治協商会議副主席、寧夏回族自治区政府の咸主席、スリナム国民議会のシモンズ議長、国連北京事務所代表、エクアドル国会副出席、トンガ議会議長といった面々で、私は明日になります。

 10時半前に開幕式が閉会となり、ご案内をいただいて寧夏博物館を訪ねました。この地域の厳しい自然環境の中でいかに人々が苦労を重ねてきたか、その中で回教がどういう役割を果たしているかなどが、生き生きと展示されていました。

 その後、ホテルに帰って明日の原稿に最後の手を入れ、12時から30分弱、全国政治協商会議の馬副主席らとの単独会談を行いました。中国側の厳しい主張もありましたが、全体的には友好の雰囲気に溢れた階段でした。続いてホテルに戻り、昼食。

 14時に再び出て、1時間弱のドライブで西夏王陵を見に行きました。ひたすらだだっ広く、高速道路もまっすぐ走っているだけでした。まず学芸員の皆さんに各種の展示を説明して貰いました。日本では平安時代でしょうか、200年弱続いて独自の文化を花開かせた王国ですが、モンゴルに滅ぼされました。西夏文字にはびっくりしました。その後、陵まで歩いて見に行きました。

 ホテルに帰り、17時から40分強、中国の中央と地方のマスコミの皆さんの取材を受けました。4人の質問者が全員女性で、頑張っていました。18時15分から1時間半、歓迎晩餐会に出席しました。大変な賑わいで、日本からも村山談話を継承・発展させる会の皆さんなど、大勢がご出席でした。

9月20日(火) 濱海フォーラム、北京空港へ、原稿書き、銀川空港へ、劉副部長夕食会2016年09月20日

 今日も、大車輪の活動でした。8時過ぎまでに朝食を済ませ、さらに昨日大慌てで書いた英文のスピーチ原稿に手を入れ、8時15分にチェックアウト。いよいよ北東アジア平和発展濱海フォーラムの開始で、まず8時半から貴賓扱いをされる私たち10人ほどが、別室で主催者側の主要メンバーと挨拶を交わしました。次いで9時から開幕式が始まり、主催者の中国国際問題研究基金会や中国人民対外教会を代表する立場の人と、外国から参加の著名人らの挨拶が次々と続き、私も9時半過ぎに指名されて英語で5分程度のスピーチをしました。事前予告が全く不十分で、昨日の飛行機と車の中で無理やり仕上げたものに今朝、若干の手直しをしたものですから、咽喉は乾くし時々舌を噛むし、冷汗三斗でした。終わると直ぐに中座で、この後に続く記念写真には参加できませんでした。

 そこから9時45分ころに北京空港に向けて出発し、車の中で次の銀川での英文発言原稿の作成に取り掛かりました。北京市街の車両が北京市域に進入するには通行証が必要なのだそうで、運転手が手続きのために下りて行きました。12時ころにやっと到着し、私の原稿もほぼ完成しました。英文タイプでこんなに根を詰めた仕事をするのは、多分英国留学時代にもなかったと思います。

 北京空港には、今回の寧夏回族自治区の銀川で開催される国際平和デー記念イベントを主催し同行してくれる林攦さんや寧夏自治区政府の左軍副主席らが迎えてくれ、時間がないので待合室でお弁当を食べました。やがて搭乗となり、13時半前に出発して2時間余の飛行で銀川空港に着き、高速道路を一路銀川へ。立派な道路で、20年前に造られたそうです。黄河の中流を渡り、やがて悦海ホテルへ。立派なホテルで、林さんらと詰めた日程の打ち合わせをしました。その後、18時半から1時間半弱、中国共産党中連部の劉洪才副部長主宰の夕食会で、地域のごちそうをいただきました。

9月19日(月) 中国へ、一般旅券、自動化、高速道、天津へ、天津薪港2016年09月19日

 今日は、ホテルで目を覚ますと霧雨に東京ドームが煙っていました。朝食を済ませ、最後の荷物の整理をして、10時半にチェックアウトをし、地下鉄とモノレールを乗り継いで羽田空港国際線ターミナルにつき、赤い表紙の一般旅券による出国手続きをしました。せっかく自動化の取り組みをしていたので登録しました。

 ところが飛行機が1時間遅れ、延々と待たされました。ところがところが、14時前出発で4時間半の飛と1時間の時差で現地時間の17時半に着く予定が、なんと北京空港に着いたのは時間通り現地時間の17時半。びっくりしました。移動中、時々居眠りをしながら、明日のプレゼンテーションの原稿を英語で仕上げました。短いものですが、急に言われて苦戦しました。

 空港に天津市の大学職員で流暢な日本語を話す朱奇瑩さんが迎えに来てくれ、18時から高速道路を車で走ること3時間で、やっと天津市らしい市街地が見えてきました。人口は1517万人だそうです。21時過ぎにホテルに着き、出迎えを受けてとりあえず夕食。その後、特に頼んで港を見に行きました。どんどん埋め立てをしているので、今や港は天津新港となっており、大型船が次々と入港しているようです。70年前、両親と4歳の私と生後6か月の弟とで、ここから上陸用舟艇で佐世保に引き上げました。警備の人と話すと、日本人は侵略したと言われ、ドキッとしましたが、私は終戦時4歳で、父は戦争反対で入獄して中国に来たのだと話すと、たちまち態度が変わりました。

9月18日(日) 車、荷造り、民進党県連常幹、党連合合同選対、懇談会、上京2016年09月18日

 今日は、午前中はゆっくりし、10時半過ぎに妻と出て、廃車にしたこれまでの自動車の代わりの引き渡しを受けました。新車ではありませんが、新しい機能がたくさん装備されており、使いこなせるかどうか心配です。

 かなり時間が掛かり、運転して自宅に向かい13時過ぎにやっと無事に到着しました。それからが大変で、まだ訪中の荷物の整理が終わっておらず、大慌てでパッキングをし、昼食を掻き込んでやっと14時に自宅を出ました。ところが民進党岡山県連常任幹事会は14時から始まっており、大幅遅刻となってしまい、14時半から16時前まで参加して、高橋徹県議の司会で参議院選挙総括などにつき意見交換しました。しかし、まさに泣きっ面に蜂で、私のスーツケースの車輪が故障しており、妻に代わりを持ってきて貰って中身の総入れ替えをしました。

 16時から17時半前まで、同じく高橋県議の司会で民進党県連と連合岡山の合同選対総括会議を開きました。私は合同の選対本部長なので、冒頭に挨拶し、金澤稔連合岡山会長、柚木道義民進党県連代表がそれぞれ挨拶し、高橋県議と小西連合事務局長からそれぞれの総括意見が報告され、自由に意見交換しました。私も、全体の政治情勢にしっかりピントの合った取り組みが出来ず、取り組みが中途半端に終わったと、私自身の反省を込めた意見を述べました。

 17時半から19時まで、出席者全員で夕食懇談会を開きました。そこに間もなく2期目の岡山県知事選を迎える伊原木隆太知事が来られ、ご挨拶をいただき、その後は、裃を脱いだ懇親となりました。終了後、岡山駅に急ぎ、明日からの訪中に備えて19時半過ぎの新幹線で、上京しました。

9月17日(土) 台湾煎茶点前、泰治君、法律事務所内装、旭中同期会2016年09月17日

 今日は、朝食後、10時に馴染みの自動車保険代理店の方が来られ、現職時代の車を変えるための保険契約の手続きをしました。その後、妻とともに自宅を出て、11時過ぎから「遠音」に伺いました。台湾の煎茶点前を披露しており、「蜜香貴妃」というお茶を所望して楽しい会話とともに堪能しました。12時半ころ、津村温子さんも参加されました。啓介さんのご母堂です。台湾の茶葉は、ウンカに食害されることによって甘みと香りを増すそうで、白湯の中で開いた葉をよく観察すると、確かに虫の食べた跡がありました。「所変われば品変わる」です。13時半前に自宅に帰り、素麺で昼食をすませました。

 14時半前に自宅を出る前に、私とは従兄半に当たる江田泰治君が訪ねて来て、短時間でしたが旧交を温めながら懇談しました。父の兄の息子の子に当たります。

 15時から1時間弱、月末から開業する「江田法律事務所」の内装が完成したので、妻とともに見に行きました。机、椅子、本箱などが入ったばかりで、書籍などはまだ何もありません。これからどうなっていくのか、緊張が募ります。

 18時から3時間、岡山市立旭中学校昭和32年卒業生の同期会に出席しました。9クラスあるうちの最後のI組が今年の幹事で、私が到着したところで集合写真の全員が揃い、50人で写真撮影。その後、会場に移り、まず物故者に黙祷を捧げました。先日は一昨年ご出席いただいた横山先生がご逝去されました。

 次に各クラスごとに出席者が一人ずつ順番で近況報告をしました。私の報告が終わると、思いがけず花束をいただいてしまいました。全員が終わって暫時懇談し、校歌斉唱とエール交換で閉会となりました。その後、同じ会場で二次会のカラオケとなり、それぞれ自慢の咽喉を披露しました。河原君の番では、特別に顕彰があり、最後に「青い山脈」斉唱でお開きとなりました。病を得て療養中の者もいますが、心は皆中学生です。