7月28日(木) 事務局会議、坂手先生、エーゲ海2016年07月28日

 今日は、10時半過ぎに自宅を出て、11時から2時間弱、江田五月会の事務局会議を行いました。議員任期満了に伴い、後援会を終了し事務所を閉鎖するため、さまざまなことを処理しなければなりません。五月会だよりの最終号の段取りもつけなければならず。なかなか大仕事です。

 会議終了後に昼食を取り、14時過ぎに岡山市中心部を出て、瀬戸内市牛窓の坂手得二先生のお宅に伺いました。岡山朝日高校の恩師で、美術を担当していただきました。体調を崩しておられ、お見舞いを申し上げて懇談しました。帰路の海の景色は、瀬戸内海国立公園の中でも「日本のエーゲ海」と呼ばれる地域で、その上に快晴。本当にきれいでした。

7月27日(水) 桃、黒石後援会、挨拶回り2016年07月27日

 今日は、9時に妻とともに自宅を出て、岡山市北区芳賀の支援者の果樹園に桃を買い求めに行きました。清水白桃には遅すぎましたが、夢白桃には十分間に合い、その場でもぎたてをいただきました。よく熟した桃の皮は、手で剥くことが出来ます。夏の強い陽光の下で、清々しいひと時を過ごしました。

 妻とともに、昼食を取った後に13時から、黒石健太郎後援会の選挙総括会議に顔を出しました。中心になって頑張ってくれた皆さんがお集まりで、冒頭にご支援にお礼を述べました。皆さんは17時近くまで、後援会活動だけでなく選挙運動の全般にわたり、根を詰めた議論をしていました。

 夕方から妻とともに、日ごろご無沙汰をしている数人の皆さんのところに桃を持ってご挨拶に伺いました。岡耕平さんのご一家は、幼稚園のころから家族ぐるみで仲良くしていましたが、そのほとんどが既に他界してしまいました。笠井葉子さんは母の妹の子で、自宅で25年間もピアノ教室を開講して頑張っています。

7月26日(火) 散髪、引越し等、伊原木知事と、岡山東大会2016年07月26日

 今日は、朝から自宅でゆっくりしながら打ち合わせやデスクワークをしました。10半ころに、妻とともに出掛け、まず散髪をしてさっぱりしました。次いで何か所かのお店を回って買い物をし、昼は涼しくソーメンで済ませました。乾燥で息絶え絶えとなった庭で、シルバー人材センターの皆さんが剪定等の作業をしてくれました。議員会館の荷物が届き、引越し作業で皆さんびっしょりと汗をかきました。

 その後、自宅でデスクワークなどをし、16時半前に出て、16時45分から1時間弱、現職で秋の岡山県知事選に立候補予定の伊原木隆太知事と民進党県連との懇談会に出席しました。既に政策協定の合意もでき、県連からの上申に基づき党本部の推薦決定も終わっており、高橋徹県議の司会で、伊原木知事の所信の表明を聞き、津村啓介県連幹事長、顧問の私、高井崇志副代表、高原俊彦県議らとの間で意見交換をして、一層の意思疎通を進めました。

 18時から、岡山東大会総会に出席しました。岡山県における東京大学の同窓会で、河原昭文会長が開会挨拶をし、議事を承認して、NHK岡山支局の岩谷可奈子局長により、45分ほどの卓話を聞きました。19時過ぎから2時間ほど、懇親会に出席しました。冒頭に私が簡単に、前参議院議員の初日の挨拶をして乾杯の音頭を取り、賑やかに和やかに、懇親を深めました。最後に応援歌「ただひとつ」を大声で斉唱し、エールに声を張り上げました。21時半に自宅に戻り、二男の剛弁護士と法律事務所開業につき相談しました。

7月25日(月) 最終日、挨拶まわり、前議員室、帰岡、焼香2016年07月25日

 今日は、いよいよ国会議員の最終日です。妻は8時過ぎにホテルを発って岡山に向かい、私は朝食を取って隣の日中友好会館の会長室で若干のデスクワークの後、江田洋一秘書に最後の仕事を頼んで一緒に挨拶回りをしました。まず、民進党本部に向かい、全階を回りました。役員室や選対、政調、総務など、お世話になった馴染みの職員ばかりで、今後の健闘をお願いしました。「前議員室」が用意されているのは、知りませんでした。

 昼から国会内に入り、まず若干の政府委員室を回りました。法務省と環境省のほか、科技庁長官としてお世話になった文科省です。本院内に入って最後の登院ボタンを押し、輿石副議長が在室だったので顔を出して懇談し、13時前に議員食堂で昼食を取りました。

 その後、中村事務総長と郷原事務次長を順次訪ね、衆議院の民進党控室に顔を出すと、国対の安住さんと笠さんが詰めており、挨拶しました。衆参ともに改憲勢力3分の2という国会ですから、国対幹部は大変だと思います。最後に参議院に戻り、長くお世話になった医務室の皆さんに挨拶して国会を後にし、14時半の新幹線で帰岡しました。

 18時前に着き、17時半過ぎに自宅に帰着すると、自宅は議員宿舎からの引っ越し荷物の山でした。これから暫く片付けが大変です。しばらく眺めてため息をついたのち、父母の仏前に線香を手向けて帰岡を報告し、妻とともに外で夕食を取りました。

7月25日(月) 《最終回・感謝》2016年07月25日

 本日で議員任期が終了し、参議院全国区での初当選から足掛け40年に渡った国政活動に終止符を打つ。知事選落選後の浪人中であった1997年から本日まで、「新たな出発」と銘打って、故・須藤立巳さんの献身的な協力で1日も休まずホームページの更新を続けてきた。ショートコメントは2001年5月から毎週月・木に、政策秘書の湯川憲比古秘書と江田洋一秘書の起案を、私の言葉で書き綴ってきた。今後は、岡山では弁護士として、東京では公益財団法人日中友好会館会長としての活動が中心となる。活動日誌は多少頻度を落とし、フェイスブックとともに更新を続ける。長年のご愛顧に心より感謝し、皆さんの益々のご活躍を祈念する。

7月24日(日) 引越し、孫誕生日会食、都内泊2016年07月24日

 今日は、10時ころに娘一家が手伝いに駆けつけてくれ、妻、義姉と娘の女3人と私、息子、娘の夫とその息子2人の計8人で、引越しの支度に取り掛かりました。なかなか大変でした。13時半に息子がレンタカー契約をした2トントラックを借りてきたところに、義姉の娘2人も駆けつけてくれ、14時に引越しのプロ2人が到着して積み込み始め、15時前にほぼ積み終わりました。かなりのものを廃棄処分としたので、荷物は1トン弱で済んだようです。そこで15時に、プロの2人に代金1万6千円余を支払って作業終了としていただき、残りのみんなでお茶にしました。

 そして16時からいよいよ最後の仕上げで、程なく終了して17時前には引越しが完結し、無一物となった議員宿舎の自室に佇んでみんなで何葉か写真を撮り、岡山に向けて出発する息子の運転の2トントラックを見送って、18年間住み慣れた議員宿舎を完全に明け渡してお開きとしました。ゴミ置き室を覗いてみると、ゴミの山になっていました。

 その後、18時過ぎから、私たち夫妻と娘一家の6人で、中華料理で三男の誕生日会食をしました。小学校5年生で、11歳になりました。長男は19歳で大学2年になりましたが今日は欠席で、二男は13歳で中学1年になりました。今夜は私たち夫妻は、全く久し振りに都内のホテルに宿泊です。18年間、都内でホテルに泊まることはありませんでした。

7月23日(土) 引越し準備、日没、可知少年団2016年07月23日

 今日は、9時過ぎに妻の姉が応援に来てくれ、終日、引越しの準備をしました。19時前に、ベランダから日没の空を見ると、朝からどんより曇っていた南の空に、微かに雲の切れ目がのぞき始めました。明日は娘一家も応援に駆けつけてくれ、午後には荷物を積み込んで引越しを開始し、地元岡山の自宅に戻ります。

 19時半ころに一区切りつけて外出し、みんなで夕食を食べた後に、21時半ころにエレベーターに乗ると、お客さんから声を掛けられました。完全にラフな服装なので、私の方がびっくりしましたが、1階に降りると隣のエレベーターから大勢の子どもたちが下りてきて、聞くと地元の可知学区スポーツ少年団の剣道部の皆さんでした。今日は試合があり、残念ながら敗退したそうですが、皆元気一杯でした。指導員の一人が、高橋徹県議の後援会員だと自己紹介してくれました。

7月22日(金) 来客(堀さんら、住吉県議、渡辺教授、内藤さんら、古山さん)、取材(地元紙、松田さん)、駿河療養所2016年07月22日

 今日は、10時過ぎに会館事務所に入り、最後の執務をしました。まず、元参議院議員の堀利和さんがすばる福祉会の西定春理事長らと障害者福祉の要請に来られ、意見交換しました。次いで、住吉良久岡山県議らが国会見学の後に寄られました。11時前に、中央大学の渡辺聰子教授が来られ、暫時懇談しました。私の高校5年後輩です。

 11時から30分強、地元紙の取材を受けました。来週早々に紙面に載るそうです。11時40分ころから短時間、法務大臣時代の秘書官だった内藤惣一郎さんらチームを組んでいた皆さんが揃って来られ、暫時懇談しました。内藤さんは、捜査の現場に戻っています。12時前から1時間強、ジャーナリストの松田喬和さんの取材を受けました。父の時代以来、長く政治記者を務めた松田さんならではの突っ込んだ質問を受けました。

 その後、遅めの昼食を取り、13時半前にエネルギー財団勤務の古山葉子さんが来られ、暫時懇談しました。岡山出身で、ピースボートで活躍していました。14時過ぎに、いよいよ会館事務所の明渡しで、エレベーターホールで水岡俊一さんに出会いました。捲土重来を願っています。会館玄関から江田洋一秘書と最後の公務に出て、車で御殿場市に向かいました。

 15時45分ころ、同市郊外にある国立ハンセン病療養所「駿河療養所(http://www.nhds.go.jp/~suruga2/)」に着くと、事務棟玄関で福島一雄所長、奥田丈彦事務長と田代美奈総看護師長に迎えられ、応接室で概況説明を聞きました。設立は終戦直前の1945年6月で、戦地から帰還した傷痍軍人らを収容したそうです。現在は、入所者は60人余で平均年齢が84歳超、職員は100数十人で、地域に開かれた医療施設にしようと努力しています。富士が一望のもとに見渡せるそうですが、今日は厚い雲の中でした。その後、入所者自治会の小鹿美佐雄会長らと懇談しました。最高齢は105歳で、インパール作戦の帰還者らもおられ、体験談の音声保存も始めたそうです。

 16時半過ぎに納骨堂に向かうと、85歳の女性入所者が日ごろの掃除などをしてくれていました。花束の手配をいただき、献花してご冥福を祈りました。17時前にお別れし、東名道で帰京しました。19時前に議員宿舎に着くと、妻が引越しの片付けで大奮闘でした。

7月21日(木) 来客(及川さん、寺田さん、野田委員長、鳥井県議)、取材、地元陳情、日中会館2016年07月21日

 今日は、10時過ぎに会館事務所に入り、来客応対のラッシュとなりました。まず、日本音楽文化交流協会代表で指揮者の及川光悦さんが来られ、今年の招聘がブルガリアの演奏家らに決まり、岡山公演も行われることなどの報告を受けました。その間に、寺田典城参議院議員が勇退の挨拶に来られました。NTT労組の野田七三生中央執行委員長が、山岸章さんのお別れの会のお礼に来られ、暫時懇談しました。11時過ぎから1時間弱、新聞の取材を受け、国会議員を引退するに当たっての感想などを聞かれました。12時過ぎに地元から、鳥井良輔県議が上京し、昼食をご馳走になりました。

 15時に、地元から「倉敷川・六軒川改修促進期成会」の皆さんが河川改修等の要請書を持って来られ、暫時懇談しました。倉敷市の美観地区の水害リスクの軽減や茶屋町地区の治水安全度向上に資するものです。私の受ける最後の要請となりました。

 その後、引っ越し作業の最終段階となり、16時にはコピー機と官物パソコンが撤去されました。18時過ぎに出て、18時半から2時間半ほど、日中友好会館(http://www.jcfc.or.jp/)の歓送迎懇談会に出席しました。村上前顧問と武田前理事長が引退し、職員が4人ほど新規に採用されたので、イタ飯で懇親の実を上げようというもので、荒井新理事長の挨拶に続いて会長の私が一言挨拶をして乾杯の音頭を取り、賑やかに結束を固めました。

7月21日(木) 《議員生活の終焉》2016年07月21日

 1977年7月に参議院議員に初当選し、83年から4期の衆議院議員を経て、98年に参議院に復帰して、足掛け40年の議員生活が終わる。最近の18年は、旧会館608号と宿舎601号を票数の「363697」で使った。2007年から09年までは議長室と議長公邸が加わったが、公邸宿泊はわずかに5泊。10年7月に面積約2倍の新会館1204号室に移り、11年1月には法務大臣室が、同年3月の大震災を経て6月には環境大臣室も加わった。参院選後の7月12日から始めた引っ越し作業の目処も着き、まもなく官物パソコンが閉鎖、明日午後はコピー機等も引き渡して議員会館から退出。24日午後には住み慣れた議員宿舎を後にする。思い出に溢れた自室には、寂寥感すらない。